平成13年度群馬大学SVBL年報に掲載
「群馬大SVBLでのアナログ集積回路設計教育」 雑感
電気電子工学科 小林春夫

1. 海外大学での集積回路設計研究教育事情― 米国の大学に学べ

筆者は1980年代後半に米国の大学院に留学すべく、あちこちの大学に願書を送りTOEFL, GRE を受験していた。
ようやくUCLA (カルフォルニア大学ロサンゼルス校)から合格通知をもらい、また1−2週間後にそこのProf. Abidi から手紙をもらった。
その内容から、米国西海岸の大学ではすでに15年前にはアナログ集積回路の研究教育分野で地元企業との産学協同が熱心に進められ非常に高いレベルにあったことがわかる。
また、当時日本企業に所属していた筆者に自分の(Abidi)研究室への参加を促し、積極的に日本企業とのコネクションをつけようとしていた。
同じような経緯で日立製作所(高崎工場)の園田裕樹さんと筆者はProf. Abidiの最初の日本人留学生となった。
Prof. Abidiは当時はまだそれほど知られていなかったが、現在ではアナログ集積回路設計分野では世界的に著名になっている。

園田さんご所属の日立製作所(高崎工場)の堀田正生さんが昨年「群馬アナログ立国構想」を提案され、現在群馬大学工学部を核に地元の半導体メーカー、エレクトロニクス・メーカーが協力し、群馬をアナログ集積回路設計の高度研究・教育地域にする構想が着々と進みつつある。
その内容は別のところにも紹介されているのでここでは詳細は省略するが、今Prof. Abidiからの手紙を読み返してみると、それはまさにこのULCAのようなアナログ集積回路分野での産学連携の状況をモデルしているのではないかと思う。

筆者の見聞の範囲では、エレクトロニクス分野では海外・日本の大学を含め米国西海岸の大学のシステムが非常に優れている。
現在日本で大学改革が叫ばれているが、エレクトニクス分野では「米国西海岸の大学」をモデルにするのが最もよいと思う。
UCLAで隣の研究室に留学生としていた旧知(Prof. Ki、当時大学院の学生)に回路関係の国際会議で再会したが、現在彼は出身地の香港にもどり、香港科学技術大学のProfessor になっていた。
筆者も現在大学に勤務していると言うと、いきなり「おまえはテニュアをとったか」と聞かれたが、このことからも香港では大学は米国のシステムを採用し、米国で教育を受け米国で働いた経験のある人たちが戻ってきて大学教員になっていることがわかる。
ここ数年、香港だけでなく台湾、韓国、シンガポール等の大学は集積回路分野では急速に力をつけ、日本の大学からは出てこないような内容の論文発表が目に付く。
「米国帰りの教員」が「米国の大学をモデル」にして研究教育を行っているのが大きな理由のようだ。

UCLAに到着後 学科の歓迎会があり、そこでのある研究者との会話を今でも記憶している。
近くにいた研究者にどこから来たかと話かけると「ベルギーからだ」と答えたので、内心「米国は懐が広い、エレクトロニクスで進んでいるとは言えない国からも研究者を受け入れている」と思ったが、今からすると全く赤面する思いである。
その研究者はベルギーのKatholieke Universiteit Leuven の若き日のProf. M. Steyaert だったのだ。
(いまではこの分野で世界で5本の指に入る研究者でありとくにRF CMOS回路の研究ではProf. Abidi とともに著名である。)

 Prof. Steyaert は園田さんと私と入れ違いであり、そのパーテイはProf. Steyaertに対してはfarewell party で園田さんや私に対してはwelcome party だったのだ。
 Katholieke Universiteit Leuvenと同地区の研究所IMEC は現在アナログ集積回路の研究で世界をリードしている。
帰国後このことに気がつき、その数年後ベルギーでの国際学会に出席する際にProf. M. Steyaert の研究室を訪問させてもらった。
日本に比べ人口が10分の1程度のベルギーでこのようにレベルが高い研究教育機関があることは驚くべきことである。

2. 群馬大学の教育改革 ―学生が今より3倍勉強・研究するシステムを作れ群馬大学工学部でも教育のためのカリキュラム等で様々なことが提案されているが、必要なのは学生の勉強量・研究量を増やすことであると思う。

米国の大学生は日本の大学生の3倍は勉強している。
いきなり「今より3倍勉強するシステム」は無理かもしれないが、せめて「今より1.5倍勉強するシステム」くらいを作らなければ国際競争力がつかない。
日本より米国のほうが「学歴社会」であろう。
米国では大学でどのようなことを学んだか・研究したかで、ある会社に就職できるかどうかだけでなく新卒で「初任給」で差がつく。
「日本の大学を活性化するためには企業はその新入社員が学生時代に大学で何を学んだか、どのような研究をしたか、どのような能力を持っているかで初任給に差をつけるべき」との意見を主張する人がいるが、これは(ある面では)正論であろう。

ある会社から別の会社への「転職」の場合は、その人の職歴・能力によって同じ年齢でも給与と待遇に差がつくのを考えれば、「新卒の初任給が一律」というのは企業が大学教育の内容を評価していないとも言えよう。
群馬大工学部では成績上位者はかなり就職の際に有利に働き「大学で勉強すること」に対するモチベーションを多少は与えているが、著名な大学では「学生間のジャンケン」で就職先を学科内調整するところもあるようである。
学生に大学で勉強・よい研究をすることに対して大きなインセンテブを与える「社会システム」をつくるべきであろう。
実際最近の新聞報道では新卒に対しても年俸制をとる日本企業もあらわれたのことだ。
また最近著名な大学の(複数の)卒業生が「LSI設計のベンチャー企業」にストック・オプションと高い給与を提示され、そちらへ就職したとのことだ。
このような動きにより米国の社会システムに少しずつ近づいていくと思う。
また、「TOEIC の点数により新卒の初任給に差をつける」という企業がたくさんあらわれるだけで大学の英語教育は大いに活性化されると思う。
米国では博士課程修了者(ドクター)は企業でも厚遇されるのが日本社会とは大きく異なる。
日米の企業の対応が異なるだけでなく、博士課程が米国と日本の大学ではシステムが異なるのも一因であろう。
さらに日本の大学で博士課程まで進学する学生は「学者指向」の人が多いが、米国の大学の工学部の博士課程の学生は「その研究で起業してアメリカン・ドリームを実現させてやろう」という人が結構いる。
日本の大学の学生の意識改革のために、まさにこの「ベンチャー・ビジネス・ラボ」があるのだと思うが。

3.. なんのための「ベンチャー起業」か ― ギャンブルのためか自己実現のためか

高いLSI設計技術で知られるBraodcom 社はUCLAからのベンチャー企業である。
創設者の一人のH. Samueli 氏はUCLAのDSP関係の教授で私の修士論文の副査になっていただいており、また、UCLAで同じ時期に集積回路設計を学んだ学生達が中心メンバーになっている(彼らは現在ストック・オプションにより大金持ちであると思う)。
Prof. Samueli はこの成功により得たものの一部としてUCLAとUC Irvine に何十億円かの寄付をしており、その功績により今ではUCLAの工学部は彼の名を冠した「Henry Samueli School of Engineering and Applied Science」が正式名称になっている。
Prof. Samueliの人柄の良さは当時から学生間で知られており、金銭的な目的だけでBroadcom社を興したわけではないということが容易に推察できる。
筆者はUCLA卒業後シリコンバレー地区のあるベンチャー企業に日本企業から派遣されたが、そこで見聞きした多くのベンチャー企業は必ずしも状況は同じではなかった(出向先がそうだったということではない)。
極端な表現をすれば「馬の代わりにハイテクでギャンブルをしている」というベンチャー企業がたくさんあるようで、さらに「お金に関わると人が変わる」という例をいくつも見聞きした。
とくに大学教員は「なぜベンチャー企業を興すのか」ということは重要なことだ。
また「ベンチャーキャピタリスト」は出資するかを判断するときに技術だけでなくその人を見るというのもうなずける。
「技術は最後にはそれを開発した人の人間性を反映する」と思う。

4. 大学が競争力をつけるために ―大学では次の世代を担う若者に力がある

エレクトロニクス分野に限っても、群馬県には大泉町に三洋電機があり、高崎には日立製作所があり、また沖電気、日本ビクター社等日本を代表するエレクトロニクス・メーカーの拠点があちこちにある。
これに比べれば群馬大学工学部でこの分野をカバーする研究室はマンパワーでも資金的にも限られている。
しかし下記のような別の観点からは大学には力がある。
大学の大きな使命は教育であり、群馬大学電気電子工学科は毎年120名前後の卒業生を出している。
10年で1、200名であり、これらの卒業生が40年間程度現役で活躍することを考えればこれはきわめて大きな社会的な力である。
この「教育の使命」の力により、「大学冬の時代」と言われるが実際は「大学春の時代」になっているのではないか。
現在社会からは大学に様々な注文がつけられるがこれは「大学に期待している」ということであろう。
一昔前までの、大学でどのような研究・教育をしようと社会は無関心であったことに比べれば、はるかによい状況であろうと実感している。

筆者は技術情報、研究費および精神的な支援を様々なところから受け、やはり世間は大学に対して暖かい、これは大学が次の世代を担う若者に対する教育機関であるからであろうと思う。大学教員は「大学は研究機関である」ことを主張しがちであるが、世間一般の人達からは「教育機関」としての比重のほうが大きく見えると思う。昨年中学のクラス会があったが、そこで筆者が大学に勤務していると言うと「毎日若者と会話できるのがうらやましい」と言われたのが印象に残っている。

ある企業がどのように進んだ研究開発をしていても、別の企業からはその企業からアクセスしづらい。
それに対し大学は公的な機関で中立・公正の立場で様々な企業・団体がアクセスしやすく地域社会のネットワークの中心になり得る。
大学はそのような「場」を提供できると思う。
筆者は2年前このベンチャー・ビジネス・ラボの海外派遣プログラムで欧州に3週間視察に行ったが、ほとんどコネがないのにあちこちの大学にコンタクトし、どの大学でもよろこんで訪問を受け入れてくれた。
大学は国際交流にも大きく貢献できると思う。

一般に大学教員はTV、新聞、雑誌等のマスコミ関係に名前がでたり、また学会の委員、国・地方公共団体の委員等の公的な立場の仕事が回ってくることが比較的多い(ときどきある)。
これは「その大学教員個人の能力のため」ということもあろうが、「大学教員であるという役職・立場」に力があるからということを認識すべきであろう。
(大学教員はこれを「全く自分の実力」と思うと「裸の王様」になりかねないであろう。)逆にこのことを積極的に利用し「国立大学の教授・助教授の名刺をもっていけばどこにでも入っていける。
民間企業や国立の研究所もよく対応してくれるので、そのようなことを利用すれば情報を集め人脈を築き、その分野のリーダーになれる」とアドバイスしてくれる人もいる。

大学は「自分たちの研究成果の全てを学会発表・論文発表をできる立場にある」というのも強みであろう。
学生に学会発表をさせることは「教育効果」があるし、また学会発表・論文発表は自分達の研究成果を大きくアピールできる場である。
これに対して一般に民間企業では学会発表・論文発表は技術情報を外部に知らせることにもつながるので、ある程度制限がある。
「大学は研究開発の内容でも(産業界にはない)非常な強みがある」と書きたいところであるが、(少なくとも私のところは)まだ実力・実績不足で鋭意努力中ということで、別の機会には書けるようにしたい。

5. アナログ集積回路教育 ― 日本には有利な点がある

「デバイス技術はDRAM全盛時代の半導体産業を引っ張ってきたが、現在はデバイス・プロセスの産業が台湾、中国、韓国に移りつつある」とも言われるが、もちろん群馬大学で回路の研究室がデバイスの勉強をしなくてよいわけではない。
競争力のある回路設計のためにはデバイスの知識は必須であり、実際回路関係で迫力ある論文を出しているのは「デバイスのバックグランド」がしっかりしているグループからである。
「競争力のあるデジタル回路設計のためにはアナログ回路の知識が必要」と同様に「競争力のアナログ集積回路設計のためにはデバイスの知識が必要」である。
「トランジスタ」や「AD変換器等の回路ブロック」の中身を知らずにブラック・ボックスとして見て進める研究ではレベルが高くならないと思っている。
(筆者はデバイスに強くないので自戒の意味でこれを書いている。)

逆に回路設計者は「システムやデジタル、ソフトウェア」も理解している必要がある。
たとえばアナログとデジタルのインターフェースをどこにするのかはこのようなことがわかっていないとできない。
この意味で「自分はアナログ屋だ」という言い方は誤解を招く表現のように思う。 
回路設計で成功している人が共通して言っていることは「設計は人間が行い、シミュレーションで行うものではない」ということである。
直感が働かなければ設計はできず、計算機シミュレーションはその確認のために使用するのが効率がよい。
10数年前のUCLAでの設計環境・コンピュータ環境は現在の群馬大学に比べてはるかに劣っていたが、回路設計分野でレベルの高い研究成果が次々にでており、設計環境・コンピュータ環境がよい設計のための第一の条件ではないことを実感している。
よい設計をするためには正しい回路とデバイスをよく理解するのが最も重要である。
もちろんCAD、シミュレータの使用法の学習は重要であるが。

「大学生の学力低下」ということが言われているがほんとうにそうかと思う。
式の計算等いわゆる「学校の勉強」ではそういう側面もあるが、一方パソコン等に対するセンスは非常によくなっており、学生がいないとパソコンに関してはどうにもならない。
大学での設備・教材が10年前、20年前に比べれば非常によくなっているのをみれば「総合的な能力」はむしろ向上していよう。
たとえばプログラミングやICのレイアウトで配線をCADで引くには難しい数学の知識は不要であり、別の能力・センスが要求され、このような能力は今の学生のほうが高いと思う。
大学での「アナログ集積回路設計」分野の研究教育は欧米がリードし、アジア諸国の伸びが著しいので大きな危機感を持っている。
しかし、日本ではエレクトロニクス産業が発展しており、うまく連携すれば学生の就職先の確保だけでなく、先端の技術情報を得ることができる。
産業界および国や地元等から様々な支援をうけながら研究室の構成員がそれぞれ頑張っていれば(まだ足りないところはあるにせよ)、これらの諸外国および日本の他大学の研究室にそれほど負けるわけはないと思っている。